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【世界一受けたい授業】本当は怖い童謡をだいすけお兄さんが授業!てるてる坊3番・不思議なポケット・赤とんぼ・赤い靴など

更新日:

2018年2月17日に放送された『世界一受けたい授業』では本当は怖い童謡

童謡に隠された秘密を、元うたのおにいさん・横山だいすけさんが教えてくれました

 

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童謡

子どもの頃よく歌った童謡

とても可愛らしい歌詞が多い童謡ですが

実は、可愛くないものがあるようですよ

 

例えば「ぞうさん」ですが

あれは、子どもが小僧に「鼻が長い」と悪口を言っているのだそう

 

小僧は悪口を言われても

「でもお母さんも長いんだ」と

気にせず言い返しているという歌です

 

これから

ぞうさんを歌うのを躊躇しそうです

 

てるてる坊主

遠足の前とかに”てるてる坊主”を作りながら

歌ったなんて思い出があったりしますが

 

この てるてる坊主は

3番まであるなんて知りませんでした

 

歌詞

1番

てるてる坊主 てる坊主

あしたてんきにしておくれ

いつかの夢の空のように

腫れたら金の鈴あげよ

 

2番

てるてる坊主 てる坊主

あしたてんきにしておくれ

わたしの願いをきいたなら

あまいお酒をたんと飲ましょ

 

そして、3番ですが

せっかく願ったのに

雨が降ってしまった場合の

歌詞となっています

 

3番

てるてる坊主 てる坊主

あしたてんきにしておくれ

それで曇って 泣いてたら

そなたの首をチョンと切るぞ

 

この歌の作詞をした

浅原鏡村(あさはら きょうそん)によれば

子どもは昆虫などを普通に殺してしまう

そんな残酷性を歌にしたのだそうですよ

 

ふしぎなポケット

作詞したのは「ぞうさん」と同じ

まど・みちお

 

この方は

一年生になったら

やぎさんゆうびん

などを作詞した方です

 

この「ふしぎなポケット」が作られたのは

1954年 終戦から9年後のことで

食糧難が続いている時代でした

 

もう、この辺で

歌の裏ストーリーが見えてきそうですが・・・

 

当時作詞された まどさんには

二人のお子さん(両方男子)がいて

ご飯の時 子どもから

「ごはん これしかないの?」

と聞かれることが

 

子どもの雑誌を作る仕事についていた まどさん

給料もまともに支払われないこともあり

生活は非常に苦しかったようです

 

この歌に出てくるビスケットは

当時とても貴重なお菓子

しかし想像の中では自由です

言葉遊びとして生まれたのが

「ふしぎなポケット」でした

 

歌詞

ポケットのなかには ビスケットがひとつ

ポケットをたたくと ビスケットは二つ

そんな不思議なポケットがほしい

そんな不思議なポケットがほしい

 

赤とんぼ

作詞したのは

三木露風

三木さんが5歳の時に両親が離婚し

育てられたのは子守のお手伝いさん

 

歌詞の中で ”負われてみたのは”と出てきますが

負われる=おんぶしてくれているのは

母親や父親ではなく

お手伝いのお姉さんなのだそう

 

3番にお嫁に行く子守のお姉さん

そして嫁に行ってしまったお姉さん(お手伝いさん)から

手紙も来なくなってしまった

 

そんな実体験の歌でした

 

歌詞の中に ”小やけ”という言葉が出てきます

この 小やけ には

意味が無いのだそう

言葉の語呂だけでつけられたんですって

 

歌詞

夕やけ小やけの 赤とんぼ

負われて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を

小篭に摘んだは まぼろしか

 

十五で姐やは 嫁に行き

長とのたよりも 絶えはてた

 

夕やけ小やけの 赤とんぼ

とまっているよ 竿の先

 

赤い靴

これは子どもながらに怖い歌っていうイメージがありました

 

この童謡は実在の少女がモデルとなって

生まれた歌です

少女のモデルは 岩崎きみ

きみが3歳の頃

アメリカ人宣教師夫婦に元へ養子に行きます

 

そんな話を きみの母親から聞いた

詩人の野口雨情(のぐちうじょう)は

アメリカで暮らしているであろう

きみの姿をイメージしながら

「赤い靴」の作詞をしました

 

しかし

 

きみは実際にはアメリカに行っていなかったのです

きみはアメリカに渡る前に

当時、不治の病だった結核にかかってしまったのです

 

そこで船旅に耐えられないと考えた

宣教師夫婦は

きみを児童養護施設に預けます

 

きみは 9歳で亡くなってしまっているのだそう

 

 

歌詞

赤い靴 はいてた女の子

異人さんに つれられて行っちゃった

 

横浜の埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って

異人さんに つれられて行っちゃった

 

今では 青い目に なっちゃって

異人さんの お国に いるんだろう

 

赤い靴 見るたびに考える

異人さんに 逢うたび考える

 

手のひらを太陽に

この曲は、あの

アンパンマンの作者

やなせたかし さんが作った歌です

 

やなせさんが漫画家として行き詰まっていた頃

作られた歌です

4コマ漫画を書いていた やなせさん

時代は長編漫画が重宝されはじめます

 

指先がかじかむのを

懐中電灯で温めようとした時

懐中電灯の光で指先に見えた

生きている証拠!

 

それに気付き 生まれた歌

やなせたかしさん自信を

励ますために生まれたのだそうです

 

歌詞

ぼくらはみんな 生きている

生きているから 歌うんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから かなしいんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば

まっかに流れる ぼくの血潮

ミミズだって オケラだって アメンボだって

みんな みんな 生きているんだ

友達なんだ

 

歌は3番まであります

 

 

第二弾!本当は怖い童謡!?の内容はこちらから↓

童謡の怖い裏話!しょうじょうじの狸囃子・シャボン玉・肩たたき

 

 

まとめ

童謡が生まれた時代背景が

決して明るくはないので

このような裏ストーリーを持ってしまうんでしょうか

 

これは子どもの時には知らなくて良い内容かな

大人になってから、そうだったのかと知ればいいような

気もしました

 

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